『「共に生きる」ための経済学』

『「共に生きる」ための経済学』 浜 矩子 平凡社新書
経済世界が繋がり、世界の遠いはずのところで起きていることが身近な問題につながっていく。
著者は、そんな社会の中で様々な課題を提起してどういう方向にいくのがいいのかを示唆している。

働き方の変化によって、生き方も変わり、共同体となる社会のありかたも変わる。

 ギグエコノミーあるいはギグワーカーという言葉は、2008年秋のリーマン・
ショック直後にアメリカで使われ始めたものです。あの惨事で多くの人びとが定職
を失いました。それでも食いつないでいくために、彼らは単発仕事や日雇い仕事を
掛け持ちするようになりました。兼業に兼業を重ねて生きながらえていく彼らを、
人呼んでギグワーカーと称するようになったのです。
 つまり、ギグワーカーやギグエコノミー化という言い方は、決して前向きな意味
を込めて出現した表現ではないのです。厳しい経済環境の中で、必死で生きていこ
うとする人びと。その働く姿を描出するために生まれた言葉です。ところが、日本
では、どうもこの言葉が今風で自由なワークスタイルを意味するような感覚で使わ
れがちです。

そして、著者は「柔軟で多様な働き方」のプロモーションと二重写しにトレンディ用語に仕立て上げられている雰囲気を気がかりにしている。

日本社会では、多様な働き方と言いながら、正規雇用から非正規雇用の増加。
兼業を認める企業の増加により安定した仕事から不安定な仕事への変更など、メリットとデメリットの諸刃の剣の危険をはらんでいるという。

 いまの時代は、自覚的に共生を追求しなければいけない時代。この点についても、
認識を共有しましたね。なぜそうなのかといえば、人びとの状況が多様化している
からでした。いまは、「一億総中流」だったり、「一億総サラリーマン」だった時代
ではない。「一億総同じ」なら、共生していくために自覚的努力は必要ない。だが、
「一億すべて異なる者たち」となると、それらの異なる者たちが共に生きていくた
めには、常に自覚的な努力が求められる、「豊かさの中の貧困」の時代だからこそ、
彩り様々な働く人びとが存在する時代だからこそ、お互いに自分と異なる他者をお
もんばかって行動を律していかなければいけない。この心意気が共食いを共生き
(ともいき)に変える。ここまで、話を進めてきたのでした。
 となると、この旅の中で、我々が次に目指すべき宿場はどこでしょうか。何が旅
の次の行程のテーマとなるでしょうか。
 すぐおわかりいただけます通り、それは、多様なる者たちが共に生きるためには、
何が必要かということですよね。どのような条件が整えば、我々多様なる者たちは、
共に生きていくことができるのでしょうか。この点を解明していくのが、本章の課
題です。
 結論先取り的に申し上げれば、取り揃えたい条件、満たされるべき条件は、どう
も四つあるように思います。その一が共感性。その二が開放性。その三が包摂性。
そして、その四が依存性です。これらについて、順次ご一緒に考えていきたいと思
います。

著者は、この4条件は、まともな経済活動のあり方と共に生きる社会のあり方が二重写しになっていて、経済活動がうまくいっていてかつ多様なる者が共生する社会を支える条件から導きだしている。

さて、経済活動の中で、昨今増加しているのがキャッシュレス決済。
キャッシュレスというと現金を使わない、紙幣や貨幣を使わないことを日本ではキャッシュレスと耳に心地よい言葉で呼んでいるが、和製英語で、英語では通じないという。フィジカル・キャッシュからデジタル・キャッシュへの切り替えと呼んでいるというのだ。
キャッシュが無くても決済できるという意味ではまったくない。デジタル・キャッシュも日本では暗号通貨と呼んでいる。

 こうしてみれば、暗号通貨は諸刃の剣ではありますが、どうも、やはり怖い刃の
方をより強く意識し、重々、警戒しておく必要があると思われます。特にいまの日
本のように下心政治が経済を振り回す関係になってしまっている場合には、然りで
す。ちなみに、前出の中央銀行通貨の完全電子化について、いま、最も熱心なのが
中国です。下心政治の日本が「キャッシュレス化」にご執心で、監視社会の中国が
中央銀行通貨のデジタル化を急いでいる。この構図が不気味です。
 関連で、筆者には現金の電子化についてもう一つ気掛かりな点があります。それ
は、現金が電子化されればされるほど、我々はバカになっていく恐れが大きいとい
うことです。
 電子決済は頭を使わない決済です。物理的な現金でお買い物をする時、我々は紙
幣と硬貨のどんな構成で支払いを行うか、アレコレ考えますよね。なるべくじゃら
じゃらお釣りがこないように。1円玉が溜まってしまわないように。お財布が膨れ
て型崩れして重たくならないように。一生懸命、知恵を巡らします。ところが、電
子決済なら、暗号読み取り機にスマホやプリペイドカードをかざすだけ。頭はまっ
たくお休み状態です。割り勘で会食する場合にも、例えば「割り勘アプリ」などと
いうものを使って電子決済してしまえば、誰もまったく頭を使わずにすんでしまい
ます。さらには、素敵なお財布をデザインしてくれるクリエイターたちもいなくな
ってしまいます。芸術文化のレベルも低下するわけです。

日本人が数学が得意で、現金で支払いをする時に、払う方も小銭が溜まらないように硬貨を揃えたり、受け取る方も瞬時にお釣りを計算して出したりしていた。
デジタル通貨が使われる前に、POSレジが優秀になって瞬時にお釣りの計算をしてくれるようになり、今ではスーパーのレジでは、紙幣や硬貨での支払いでも相手は自動精算機である。これもデジタル通貨で処理すれば、ややもすればいくら支払ったのかの確認もしないで済ませてしまう可能性が高い。

政治家の危うい主張に偽りの三段論法というのがあるという

 … 注意を要するのが、偽りの三段論法です。過ちの三段論法と
いってもいいでしょう。これは次のような立論の仕方です。

・猫という生き物は四つ足である。
・私の犬は四つ足である。
・だから、私の犬は猫である。

 これでは犬がかわいそう過ぎるでしょう。これが落語ネタならなかなか優れモノ
ですが、大真面目にこう考える人が出現したら大ごとです。
……中略……
 新型コロナウィルス問題への安倍政権の政策対応の中に、まさしく、これが出て
きましたね。

・いま、直ちに何かをやらなければならない。
・いま、二枚ずつなら、直ちにマスクを全家庭に配れる。
・だから、いま、直ちに全家庭にマスクを二枚ずつ配らなければならない。

 これには、全日本、そして全世界があきれ返りましたね。たちどころに、「これ
はアベノミクスじゃなくてアベノマスクだね」という言い方が、まさにネットを介
して全地球的に拡散しました。
……中略……
 ヒトがIT的つながりと向き合う時にも、偽りの三段論法に惑わされる恐れがあ
ります。この場合の偽りの三段論法は次のように進行します。

・ここに情報がある。
・情報は伝えるものだ。
・だから、この情報を伝えなければならない。

 我々が無定見・条件反射的にこの論理に従うと、悪気はないのに、デマをどんど
ん拡散させてしまうことになってしまいます。あのトイレットペーパー・インフォ
デミックの時にも、まさしくこの力学が作動してしまったといえるでしょう。
 短絡的な論理の三段跳びに翻弄されないよう、我々は常に知的に目覚めていなけ
ればいけません。知性覚醒度を高めておくことこそ、IT的につながりを我々にとっ
ての共生基盤に仕立て上げるための勘所だと思うところです。

まさに、政治的三段論法があちこちに見受けられる。

今週も、原子力発電所の再検討が開始されているが、福島原発事故の背景になっていた原発安全神話。
今回の原発救世主的な主張も偽りの三段論法的で危険な道に入ろうとしている。






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