『無所属の時間で生きる』

『無所属の時間で生きる』 城山 三郎 新潮文庫
 城山三郎氏の「毎日が日曜日」が書かれたのは1976年のことのようだが、この『無所属の時間で生きる』が書かれたのは1996年からである。

 「毎日が日曜日」が執筆されたのは、著者49歳で当時でも定年まで後10年はあるかという時間の中でのこと、そして、『無所属の時間で生きる』はそれから20年、著者は作家となり、毎日が日曜日なのか、毎日が取材と執筆の日々だったのではないか。そんな状況で『無所属』という時間を過ごすことの大切さを感じていたように思う。

 仕事の時間ではなく、家族や友人の為の時間でもなく他の誰にも属さず、自分の時間を設けることが大切だと言っている。
 そうは言っても、自分ひとりだけで過ごす時間ではなく、様々な人々との出会いも含めての時間である。『無所属』について城山氏は、旅先でのちょっとした時間を取れなかったことを悔いて、その後のことをこう記している。

 会場のホテルへは早目に着いた。打ち合わせを済ませてからも小一時間ほどあり、
一人にしてもらった。
 その間、とくに何をするというわけでなく、窓に寄って立ち、霧の流れる東山の木
立をただ眺めていた。
 淡い旅情。短かいが、非日常の時間。あらゆるものから、解き放されている。その
思いを味わいながら、悔いも湧いた。なぜ、小一時間でなく、半日なり一日なり、こ
うした時間を持てるようにしなかったのか、と。
 戦後最大の財界人石坂泰三を調べていて、幾日か出張するとき、空白の一日を日程
に組みこんでいることに、私は注目した。
 旅先で好奇心の湧いた場所や人を訪ねるためもあるが、ただ風景の中に浸っていた
り、街や浜辺を散歩したり。経団連会長や万博会長など、日本でいちばん忙しい男で
あるはずの時期でも、そうであった。
 その空白の一日、石坂は二百とか三百とかの肩書をふるい落とし、どこにも関係の
ない、どこにも属さない一人の人間として過ごした。私はそれを『もう、きみには頼
まない』(毎日新聞社、のちに文春文庫)の中で、「無所属の時間」と呼び、その時間の大
切さを、私なりに確認したつもりでいたのに--。
 石坂さんの例を担ぎ出すまでもない。ふだん縁のない町へ出かけ、交通機関の乱れ
や先方の都合などで、ぽっと時間が空いたときには、何か思わぬ拾い物をした気がす
る。
 そこには、真新しい時間、いつもとちがうみずみずしい時間があり、子供に戻った
ような軽い興奮さえ湧く。おそらく、それが人間をよみがえらせるきっかけの時間と
なるからであろう。

 旅先でぽっと空いた時間の経験で一番ゆったりとしたのは、2007年にサンフランシスコからの帰りに搭乗手続きも終って、さて飛行機に乗って日本へ向かうだけとなった時に、出発便の遅れのアナウンスがあり、30分、1時間と待ち、遅い昼食のチケットが配られ、その次のアナウンスで今日は飛ばないことがアナウンスされた。
その日は帰れなくなってしまったわけであるが、航空会社の手配で何とかその日の宿に案内されたのは、とっぷりと陽も落ちた時間。夕食にありつけたのは夜の10時頃だったろうか。そんな不安な夜を過ごした翌日。
 飛行機は丸一日遅れの午後1時出発、午前の時間は、ホテル内でカリフォルニアの陽気の中でゆったりと朝食とコーヒーを飲みながらノンビリしていた。
アメリカで観光するわけでもなく、仕事やセミナ、ショッピングや買い物と忙しく動き回るでもなく、ノンビリしたのは、何度かアメリカへ行ったが、その時が初めてでとてもリッチな気分だった。忙しく立ち回る日常を離れてノンビリできる時間がとても貴重なものに思えた。それは、休日にノンビリ昼寝をしているような感覚とはまったく違う。家にいるわけではない、ホテルの中庭で近くにはジャグジーがあり、風が爽やかに吹いている。東京の茹だるようなサウナにいるような熱さではない、乾燥した爽やかな暑さの中での朝のひと時だった。スケジュールを狂わされてしまった中での至福のひと時であった。










この日、この空、この私—無所属の時間で生きる
朝日新聞社
城山 三郎

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