『知性の限界』

『知性の限界 ~不可測性・不確実性・不可知性~』 高橋 昌一郎 講談社現代新書
なんだか難しそうなタイトルだが、『知性の限界』と『理性の限界』の2冊並んでいたので、中をパラパラめくって、まずは『知性の限界』を読んでみることにした。

シンポジウムに参加しているいろんな立場の人が次々と現れてそれぞれの立場の人が自分の論理を展開するという形式で話が進められていくのであるが、物事を認識する仕方が国によって違うというのが、興味深い。

会社員 「異なる世界」ですって? それはどういう意味なのでしょうか?
文化相対主義者 文字通り、イギリス人と中国人は、それぞれ「異なる世界」を認識して
いるということです。
 具体的に、たとえば、「虹」を考えてみましょう。虹は何色だと思いますか?
大学生C もちろん、虹は七色でしょう。しかも私、今朝見てきたばかりです!
ちょうど雨が上がったばかりで、駅を出た瞬間、すごく大きな虹が見えていました。側
に立っていた若いお母さんが、幼い子供に「ほら、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の七色が
見えるでしょ」と教えていましたが、本当にくっきりと七色に見えました……。
文化相対主義者 たしかに日本やフランスでは、虹は七色と認識されていますが、アメリカ
やイギリスなどの英語圏では、「red(赤)、orange(橙)、yellow(黄)、green(緑)、
blue(青)、violet(紫)」の六色が普通です。これがドイツでは、「rot(赤)、gelb(黄)、
grun(緑)、blau(青)、violett(紫)」の五色と認識されています。
大学生C えー、ドイツ人は虹を五色と見ているのですか?
文化相対主義者 そうですよ。さらに、アフリカ南部のローデシアのショナ語圏では
「cipswuka(赤、橙)、acitena(黄、黄緑)、acitem(緑、青)」の三色、リベリアのバサ
語圏になると「ziza(赤、橙、黄)、hui(緑、青、紫)」の二色と認識しています。
日本文化論者 そういえば、古文書にも「二色の虹」という記述があったような気がしま
すから、古代日本人も虹を二色と認識していたかもしれませんね。 

 科学者から見れば、太陽光線を何色と認識しようが、単に連続したものを、いくつに分けて名前をつけているか、くらいにしかならない話ではあるが、美術の世界になると、いくつに分けて区別しているかが、日常の色彩感覚に大きく影響しているのだと思う。

 古代は、土器にしても凹凸をつけるだけの模様であったものが、その後に色のついた液で色を付けるようになり、その色の種類が多くなるのに従って、色彩感覚が分化していって。そのうちに虹の色を分ける数が増えていって、
いまでは七つに分けるようになってきたのではないかと考えられる。

日本やフランスで繊細な美術が育っているのも虹を七色に分ける文化からきているのかも知れない。







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