『こんなに面白かった! 「ニッポンの伝統芸能」』

『こんなに面白かった! 「ニッポンの伝統芸能」』 齋藤 孝 PHP文庫
今なぜ日本の伝統芸能なのか?

日本人が海外に行ったり、外国の方が来られて、海外の方と話をする機会が増えている。
そんな時に、聞かれることの一種に、日本の文化があり、それは伝統芸能に関するものとなる。

だから、日本人として、日本の伝統芸能について知っていて、ある程度説明ができることがグローバルで活躍する人には必要だと著者は説く。

まずは、序章からひろってみよう

 かつて70~80歳代の方が中心のゼミを主宰していたとき、参加された
方々は若い人よりずっと学ぶことに貪欲だった。本に出合うことを喜び、読
み進める楽しさを噛みしめていた。そう思えるようになれば、教養はまさに
生きるエネルギーになる。
 教養とは、試験に出るから暗記するとか、人にひけらかして自慢するとい
ったものではなく、自分で人生を明るく照らしていくためのものである。学
ぶことに限りはないし、奥が深い。それは世界中のあらゆる文化についてい
えることだが、特に日本の文化を知ることによって、私たちは自分のルーツ
を探ることができる。
 私たちのすべての感性の基本は、日本語で成り立っている。その意味で
は、日本文化から逃れられない。だとすれば、そのルーツの最良の部分を味
方につけ、根っこのある生き方を志してもいいのではないか。日本人の学び
好きの文化、あるいはそれを自らの生きる道につなげてしまう癖というもの
を、肯定的に捉えて活かしてもいいのではないか。
 それが、本書を通じての提言だ。

本書では、日本の伝統芸能の内、5つを紹介している。「茶の湯」「歌舞伎」「能」「俳句」「禅」である。

それぞれが、伝統の様式を持ち、それを代々引き継いでいくことが伝統を守るということのようだ。

茶の湯、歌舞伎、能は、だれもが演じれるものでもない。伝統を守る方々がいてこそのものである。

それに比べれば、俳句は、句会も催されており、比較的入りやすいものである。

5、7、5の言葉のリズムに合わせて、季節の情景を詠んでいくのである。

季語がよく判らないと言って避けてしまわずに、歳時記というものを参考にすることもできる。

 季語は多くの場合、具体的な自然である。もちろん「秋」や「夏」をスト
レートに入れても成立するが、それを別とすると、具体的な花や鳥などが季
語になる。正岡子規によれば、俳句とはその情景を写生していくものである
という。ただし、そこに感情がなければ面白くない。つまり外部の風景を出
発点としながら、それに誘われるように生まれた感情を詠む。
 言い方を換えるなら、これは「インスパイアされる」ということだ。外部
のものから、"霊感"を吹き込まれて発想の根本になる。それが季語という形
で提示されるわけだ。そして、不特定多数の人がインスパイアしてくれるモ
ノを共有するため、編集されたのが「歳時記」だ。
 ふつう、これは個々人がそれぞれ発見すべきもののはずである。ところ
が、季題を決めて皆でつくり合う。見方によっては、非常に型にはまったつ
くり方をしているわけだ。それでも、つくっている本人は楽しめる。なぜな
ら、そこから引き出されるものの見方や感情といったものが、それぞれ違っ
ているからだ。そのズレ方、角度のついたものの見方が面白いのである。

この後、著者は、俳句は、二枚の絵で示せると言っている。

俳句を5+(5、7)か(5,7)+5のどちらかで二つに分けて、それぞれに1枚の絵をつけると、1句が二枚の絵になるという。

そして、最初の絵が、前段で、2枚目の絵は落語のオチみたいなものだと言う。

そうやって考えていくと、自分でも俳句がつくれそうになってくる。
上手くできるかどうかは気にせずに、沢山作ってみるのがいいらしい。

最後は、禅であるが、禅は、子供にも、大人にも必要だと説く。

 日本人は、禅マインドを幼稚園・小学校のころからもう一度取り戻すべき
である。私が子どもを対象に主宰している私塾では、一時間のうちに何度も
正座をさせ、前述したような呼吸法を実践させている。それによってつねに
自分をリセットできるからだ。
 ここでいうリセットとは、それまでの人生をナシにするといった大げさな
意味ではない。自分自身をつねに静かな心持ちに誘導できる技術を身につけ
ること、そして無から始めるつもりで真新しい気持ちで事に臨むということ
だ。
 ただし、子どもは長く座禅をさせていると飽きてしまうので、一呼吸ぐら
いずつに細かく回数を分けて実践する。息を鼻から吸って止め、口からフー
ッと吐き出すだけでも、少しは静かな心持ちを実感できるはずだ。
 これを全国の学校で実践すれば、その効果は絶大だろう。自分自身の心を
よい状態に保つという意味では、本来の宗教が目指すべき極意的なものを日
常生活の中に取り入れるということでもある。ただもちろん、特定の宗派に
偏る必要はない。
 日本の禅文化の基本は、教養を身体で身につけるということだ。本も読む
必要はあるが、身体に染み込ませるべき教養というものもある。

禅の世界というのは、どんなところでも、どんな場所でもできるという。

心を落ち着けて、平常をたもつ。無心になり、じっと感じるままに。

試験が始まる前とか、試合の前とか、大勢の前で話をしなければいけないときの直前とか、上がってしまいそうになった時に、いつもの心の状態に戻す為に心を落ち着かせる必要ができたときにも、日頃から心を落ち着かせる訓練をしていれば、その動作をするだけで、落ち着くことができる。

禅的なものは、日本人に広く浸透しているようであるが、もっと活用できるものでもある。

最後に一句
「リーンリン 嵐の前に 庭の恋」






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この記事へのコメント

2019年09月22日 10:25
こんにちは。

伝統芸能ですか。
面白そうな本ですね。
2019年09月26日 22:27
「俳句は二枚の絵で示せる」ってのは、実に説得力があると思いました。
これを知っただけでも、俳句が少しうまくなった気になります。
いい話ありがとうございます。